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2011年12月18日 (日)

『木村和司に挨拶せよ』

昔話から書き起こす。

ジーコ解任デモというのがあった。
仕掛けたのは自分のまわりの一派。これではダメだという危機感と強烈な行動力を持つ連中が集まって、あっという間に大事にしてしまった。
これを巡っては様々なエピソードもあるのだが、ここでは割愛。
これをやってるときに、当然ながら鹿島サポを敵にまわした。彼らは解任デモに対抗して、支援デモを組織し、その数は自分たちの組織した人数を大幅に上回った。襲撃予告なんていうものも、東スポに出たのを思い出す。この年の鹿島アウェイの試合には自分に鹿島側の警備が二人ついたのが懐かしい。

そのうち彼らの考えがわかり出してくるにつけ、立場は違えどあっぱれな連中だと逆に感心しはじめた。彼らのアントラーズをつくった恩人に彼らなりに報いるため、例えダメだったとしても、例えすべてを敵に回すとしても、それでもジーコについていくという彼らなりの「愛」にうたれたのである。

やがて、この鹿島サポの献身的なバックアップが成就したかのように、欧州遠征の試合で日本代表は快勝。ワールドカップドイツ大会までの日程を考慮し、ここで監督を交代するのはマイナスの方が大きいと判断し、この活動は終了した。ドイツ大会はご承知のとおりの結果だったわけだが、この判断は間違ってなかったと思う。

それからしばらくして、岡田さんが代表の監督になった。
前々から一生岡田武史に足を向けては寝られないと公言していた俺は、まさにジーコの時と立場が入れ替わることになったわけである。
就任後、結果が出せない岡田監督に非難は集中した。
岡田武史が監督だった時代のマリサポならばご承知のとおり、コメントはぶっきらぼうで、時にマスコミに悪態はつく、勝つためなら手段は選ばない冷徹さで非公開練習を繰り返す。固定したメンバーは結果が出るまで徹底して使い続けるため、傍から見れば無策にも見えよう。しかし、こうと決めたときには梃子でも動かない。
寒空の中で、なすすべもなく結果を出せなかった東アジア選手権で、非難は分水嶺を越え、個人攻撃に入った。さしてサッカーなど見る眼がなさそうな連中が、まるでクラスメートのイジメや、ワイドショーのコメンテーターのような上げ足とりを行う。あのときの論調が忘れられないため、未だにそういう罵りをあげていた人のサッカーに対するコメントは信用していない。

岡田武史バッシングのレベルの低さに唖然とさせられる3つの理由

この時にあのときにジーコを守ろうとしていた鹿島の連中の偉さがよくわかった。
「岡田武史解任運動」と称する動きが湧き上がる。そのスキームは自分たちがつくったやり方のコピーであった。代表サポの若手がつくった岡田武史肖像入りビッグフラッグは、このダンマクの下では応援できないとスタジアムでもめ事がおきる。

もちろんジーコの時と若干事情か違っていたのは、自分は別にウソ偽りなく、岡田監督なら結果は必ず出すと確信していたこと。4年間マリノスで戦ってきた経験があったし。だから、岡田批判のほとんどがトンチンカンに思えたし、だいたいの展開も読めたのだ。最後の最後で大ばくちがある、それを信じようと。
だから、岡田武史は必ず結果を出すと公言した。当時、そんなことを言うのは自分くらいだったが、常日頃自分がこの人は信用できると思っていた評論家の方々数人がほとんど同意見であったのも心強かった。


しかし、サポーターも、弱かった。
南アフリカの時、みんな負けると思っていたらしく、グループリーグの三戦目に行くというのは少なかった。自分は逆に負けるとしたら、それに立ち会わなければならないのがサポーターと思っていたし、さらには絶対に結果は出すだろうと考えていたので、この試合から南アフリカに行くことに決めていた。

今、横浜のユニの胸に刺繍されている金色の星、3つのうち2つは岡田武史が刻んだものだ。しかし、その横浜から岡田サポートの声は聞かれなかった。自分はひとりでやりきろうと思った。南アフリカに出発する前日に、渋谷のマルナンで20メートルの布を買った。もうそのとき三戦目で出す一発ダンマクのメッセージは決まっていた。


もちろん、例え岡田武史が信用出来なくても、サポートし続けただろう。恩義があるから当たり前。選手や監督は、ウイイレやサカつくのパラメーターやキャラクターではない。1人の人間として目の前にいる。この感覚を俺はこのまま胸に抱えていたい。
ダンマクのメッセージは、岡田バッシングをし続けたメディア、代表サポーター・ファンに向けたものだったが、今だから書くが、心の中では情が薄いマリノスサポーターにも宛てたものでもあった。

Rokukawa

その年にマリノスの監督は木村和司になっていた。

今でも憶えている。
鹿島サポがジーコを擁護し続ける姿を見ながら、かつての名選手が監督になったら、俺はどのようにあるべきか考えた。その時に、真っ先に思いついたのは木村和司。和司監督になったら地獄までついていくしかなかろうと。

95年に俺たちは、木村和司にあれだけの感謝を捧げた。ミスターマリノスどころか、「ミスターサッカー」だった人。その人が帰ってくる。
聞くところによれば、これまで何度か指導者就任のオファーはあったにも関わらず、木村和司はすべて断ってきたという。「マリノス以外ではやる気がなかった」。とあるインタビューで、この人は自分の前で断言した。
監督としての手腕がどうのという問題ではないのである。


お飾りの監督だの、中村俊輔がピッチのリーダーで監督は役にたってないだの、ひとつひとつを、組織論やリーダー論から反駁するのは容易い。これが社会人でサッカーを何年も見ている人間が語るものなのか、と。

もちろんそれだけではない。就任して2年連続して優勝争いまで食い込む。今の戦力を冷静に他チームと比較すれば、これは大したものだ。アレックス・ファーガソンでさえ、就任してから何年かは優勝することはできなかった。ギドは欧州の古き良き監督のように精神的な父として君臨し浦和を勝利に導いた。リーダーが実務的なリーダーであるべからず、というのは社会人ならば当たり前に知っていることだろうとも思ったが、どうやらそういう組織経験もない人がいるらしい。

むろん、あまりこういう人にかまっていても仕方ないという諦めもあるのだ。
岡田、桑原、早野、木村浩吉、それらはすべてこの人たちによって近視眼的な批判にさらされてきた人だ。特に、後期のマリノス岡田監督時代の批判のネガティブな論調は覚えている。CSKAモスクワの本田は「日本で一番優秀な監督」と、杭州に監督就任が決まった岡田武史を評した。岡田監督時代後期、この人はいろいろな理由で孤立していたという。「家族の問題」で辞めたというのだが、それを信じるナイーブな人は幸せである。わたしたちマリノスサポーターはその孤立を救うことはできず、却ってこの名将を、ヒステリックに追い詰める側に加担した。

そしてまた、木村和司を追い詰めようとしている。


昨年の松田の騒動のときに、選手、特に功労者に対するリスペクトがないと食ってかかっていた人間が、松田以上のミスターマリノス、80年代の「ミスターサッカー」に、全くリスペクトの欠片もない悪罵を浴びせる。
選手や監督はコマではない。なんというか、歴史に対する暗愚この上ない態度。弱い。人間として弱すぎる。


マリノスが冷たい組織とあげつらった昨年。
しかし、もともとその元凶はどこにあるのか?俺はなんとなくわかったような気がして、この木村和司批判の論調が大変残念極まりない。


ホーム最終戦、試合終了後のセレモニーでの監督挨拶。
ブーイングに包まれる中、木村和司の表情と声は、これまで見たことも聞いたこともない哀しみに満ちたものだった。
俺たちは誰かを傷つけ、誰かを採点し、論評し、批判するためにピッチの中の戦いに立ち会っているのか。

だから今は、ひたすら天皇杯を奪取することを祈るばかりである。
その時に、南アフリカで出したダンマクと同じ文句を掲げようと思う。
「木村和司に挨拶しろ!」と。


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コメント

木村和司さんがどれだけ凄い選手だったにしても、監督としての能力、人の上に立つ者としての徳、そういったものが見えない以上は不適格だと思います。
ジーコにも岡田さんにも、ラモスさんにもピクシーにも人徳があったり戦略を考える勤勉さがありますよね。
野球なら長嶋さんや落合さんや仰木さんなど。
木村和司さんは監督になる間にマリノスのためにどんな活動や勉強をしてきたのでしょう。岡田さんの時代に岡田さんのサッカーが嫌いだからマリノスの試合は観てないと聞いた事はありますけど。どうなんでしょうか。
今年一年は辞めてはいけない選手がマリノスを出ていく事になり残った選手の責任感からの結果だと思います。

>監督としての能力、人の上に立つ者としての徳、そういったものが見えない

それは正志さんが視えないというだけだったらどうしますか?

岡田武史の代表監督の時に、某有名ネットのアルファブロガーの人は、「岡田武史の人格を一生信用しない」と断言していました。
あ、そう(笑)というのが、その時に感想だったのですが、まあなんというか、人は自分の見たいものしか見えないという古の格言はそのまんまということなんじゃないですかね。

いずれにせよ、自分の言いたいことはすべて書きました。それからすると、ちょっと論点外れてないですかね。

理屈で言われても難しいですね。和司さんに批判的な人は自分も含め去年の件で感情的になっている人が多いと思うので。
ただ少なくとも選手がイマイチ生き生きしてないというか、今年なんか近年で一番の成績なのに何か面白く無かったのは確かです。波戸選手が引退コメントで控え選手のモチベーションUPに尽力したとの旨を言ってましたが、裏を返せばそれだけ不満を抱えている選手が多いということなのでは?まあ真実は違うかもしれませんが、和司さんの場合は浩吉さんを途中で切ってまで就任したといういきさつもあったし、就任直後に大口叩いてたことも大きかったですね。1年目が勝負みたいなことを言いながらしれっと契約延長してたりしたのも印象悪いし。
何か岡田さんと同格のように書かれてますけど、岡田さんとの決定的な違いは試合後のコメントににじみ出ているというか。。。岡田さんは選手が下手くそ的な発言は一切しなかったように思いますが、和司さんは。。。まあ誰に諭されたのか最近はだいぶそういう発言は減ってきましたが、いろんな物事に対するリスペクトが岡田さんと正反対に見えてがっかりしてしまいます(そんなマリサポが多いのでは?)。監督を育成している暇は無いと思うし、そんなんなら浩吉さんのままで良かったのにと思うのが私の意見です。

理屈で言われても難しいという人には、論理的にいえば、何を書いても無駄になるので、これ以上書きません(笑)

浩吉さんでよかったのでは?というのは自分も同意見です。
だが、もう変わってしまった。

木村和司氏、2年間お疲れ様でした。正当な手続きを経て契約非更新を実施したのに、
社長・統括本部長と共に非難の矢面に晒され、本来やりたかった昨年のサッカーを捨て、
結果重視のサッカーをせざるをえなかった今シーズンは、ある意味不本意だったと思います。
若い選手を起用しながらの攻撃的な昨シーズンのサッカーを、今年も続けていけば、
3年目の2012シーズンに真の優勝争いを出来たであろう、と思うと昨年のサポーターの騒動が残念でなりません。
クラブは樋口コーチを監督に昇格し、嘉悦社長もなんとか続投と次に進んでいます。
最近のネット関連を見ると、下條本部長を攻撃する様子が伺えますが、
このポジションをコロコロ変える事が、クラブにとって一番愚策なのは明白です。
下部組織と連携した強化・新人獲得・補強等々、他クラブでGMに相当する下條本部長には、
安易に交代するのではなく、腰を据えた職務がクラブが強くなる道と思います。
残念だなぁ、と思うのは天皇杯準決勝という大一番でも、
監督紹介のオーレでタイコを叩かないゴール裏です。
フロント・スタッフ・選手が一丸となって目の前に近づいたタイトルに臨むのに、
サポーターが加わらないクラブに、サッカーの神は降臨しないと感じた昨日でした。

さらにいうならば、ただ勝つことだけが目的なら、サポーターなんかやめちまえということですね。

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