新横浜御用牙2011

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横浜御用牙RSV

「勝てるチームはフロントやサポーターやボランティアなど、そこに関わる全員が全力を尽くすチームだ」
(岡田武史)

「ファンはお金を払って感動を買う。サポーターはチームとともに闘う中で感動を得る」
(岡田武史)

「より努力する人間こそ、人に対してがんばれ、といえる」
(東京大学応援部物語)

「応援する人間は、応援される人間より強くなければならない」
(東京大学応援部物語)

"Look if you like, but you will have to leap"「見るまえに跳べ」
(大江健三郎)

「オレがやってやるって気持ちが大事さ」
(ULTRA YOKOHAMA)

「哲学者は世界を様々に解釈してきた。しかし肝心なのはそれを変えることである」
(K.Marx)

~「戦う」というのは、別にゴール裏で跳んだり跳ねたりすることだけじゃない。現代サッカーは総力戦だから、どんなに小さなことでも、これが最高の場所にたどり着くまでの地道なプロセスなんだ、と信念をもって、能動的に動いていくこと全てが戦いである。 (横浜御用牙)

2012年4月27日 (金)

明日にむけて、樋口カット他2点

とりあえず明日の試合にサポーターが出来るのは応援することだけ。

選手には、ピッチを掘り返し耕してもらうぐらいのハードワークを期待する。それを鼓舞するために、ファン・サポーターは歌い続けなければならない。

そんな明日の試合に向けて、ファン・サポーターがぶつける勝利への3つの方法をご紹介。

(1)「10時45分 日産スタジアムプール入り口前集合」の件

 ブリのサイトにも出てないので内容よくわかりませんが、何かやるようです。
 twitterだけだと不便なのでちゃんと案内サイトつくってください。

(2)盛り塩祭の件

 2001年の残留争いの時に三ツ沢で行った盛り塩祈願が再び。
 これ懐かしいですわー。

 (たぶん、今のファン・サポーターのうちの大半が知らないと思いますが、こういうのやってました。)

 ちなみに、この年に自分はひとりで歌詞カードチラシ配布をはじめました。
 たぶんこれがハマトラの原型です。自分のサポ活動の原点です。

 ていうか、ひとりでオレがやってやる!とアホなことだろうと、なんでもやってやろうとするヤツ少なくなったよね。

(3)樋口カットの件

 樋口支持の旗をあげたこの男がピッチの外から盛り上げる。
 ヨコハマじゃ今、樋口カットが大ブーム!!

 髪型から応援に入る意気込みが、今勝利には必要!

S01

そんなわけで、明日はついに雨がやんだ試合になるようですね。
盛り上げましょう!

2012年4月25日 (水)

大宮における樋口靖洋

昨日の「降格の研究とこれからの展望」を書いたあと、10年来の友人で、樋口サッカーについてかなり貴重な証言をしてくれる人に別件の用事でたまたま会うことになった。

面白い話も出たので、マリサポのために少しまとめてみようと思う。


Kawamoto_3

 

川本梅花

 大正大学卒業後、ジュネーヴ大学文学部言語学科博士課程留学。留学中にサッカーライターとしての活動を開始する。現在、大正大学綜合佛教研究所研究員。専門は言語学者(ソシュール研究)とサンスクリット語(インド修辞学)。
 近著『俺にはサッカーがある:不屈のフットボーラー16人』『サッカープロフェッショナル超観戦術』『大宮アルディージャの反逆』等




何が貴重かといえば、「サッカー戦術を言語化する」というテーマで、様々な切り口でJリークにまつわる文章を書いてきたこの人、大宮アルディージャにフォーカスした活動をしばらくしていたことで、その時期、ちょうど樋口さんが監督だったことだ。

まずは、先の「降格の研究・・・」でケーススタディとなった、2007年の降格争いから聞いてみる。大宮はどのようにして降格争いから逃れたか。


1.残留争いを突破した理由

2007年、大宮はシーズン当初から降格圏内に沈む不調だった。
このへんは川本著の「大宮アルディージャの反逆」に詳しくまとめられている。

当時の大宮は、マリサポならよく承知のあの三浦俊也の3期の監督時代を経て、ロバート・ファベークが監督に就任。このオランダ人監督は、オランダサッカーの4-1-4-1のシステムでチームをつくったが、これが全く機能しない。

前年まで三浦監督によるカウンターサッカー(それにマリノスは泣かされてきました)に慣れてきてチームもそのような選手が活躍していたところに、急にオランダ流のウイングをおいた攻撃サッカーになったのだ。さすがに無理があったと気付いて、4-4-2に変えた頃の中断期間前にはもう遅く、そのまま解任されてしまったらしい。結局、フロントのテクニカルディレクターだった佐久間氏(現甲府GM)が急遽監督になった。(追記:いくつか訂正いたしました)

こんなところからどのように大宮は降格争いを戦っていったのか。

「選手が話し合ってました。これではダメだということで、選手同士が毎日試合後にミーティングをしていました。試合後にその試合のビデオも皆で見ていたらしい。選手同士が自分たちの試合を見て、良い悪いを語るというのはプライドが傷つく話です。自分の失敗をみんなに目の前で見られて、ダメ出しされるのですから。それでも降格したくないという気持ちのほうが強かった。残留するために、選手みんながプライドをとっぱらったんです。言いあいも議論もあった。」

気づいている人は多いと思うが、最近の中澤と俊輔、それに樋口さんのコメントがかみあっていない。同じ試合の後のインタビューでこの3人のコメントがバラバラのことを言っていることがある。この3人のコミュニケーションが取れていないことがすぐにわかる。中澤も俊輔も、一筋縄ではいかないキャラクターなのは、もう皆さんご承知のとおりだと思う。この2人を御してきれていないのか?

「樋口さんは選手とキチンとコミュニケーションをとれる人です。けれど、優しすぎるところが欠点でもあるんです。」

降格危機のあいだ、大宮の選手は毎試合のミーティングで率先して選手同士が共通認識をつくっていった。その効果は、コーチングの声が日増しに大きなってきたことにも現れていたそうだ。

「昨年の浦和の不調もコーチングの声の小ささに象徴されているような気がしました。若い選手はこういうときの声を出さないみたいですね。鈴木啓太なんかはコーチングしろ!と若い選手に呼び掛けていたらしんいですけど、うまくいかなかったみたいですよね。コーチングの声が頻繁にあるチームは強いと思いますよ。」

さて、横浜F・マリノスはどうなのか?

「残念ながらマリノスにはミーティングとかコーチングを率先してやるようなキャラクターはいないんじゃないでしょうか。でもそれが出来ないとドツボにはまっても抜け出せないかもしれないですよ。」

ビジネスの世界の組織マネジメントでは、公式組織のリーダーと非公式組織のリーダーが比較される。サッカーでいえば監督をピラミッドとする意思決定ラインが公式組織、非公式組織というのは大宮の例でいえば選手同士で自主的にやるミーティングである。なお、この非公式組織による改善をシステム化したのがTQC(Total Qualty Control)。

この非公式組織のリーダーがマリノスには長らくいなくなっているのでないかと、すぐに想像した。組織の一員がボトムアップでサッカーの質を高めることが出来ないということ。松田もそういうキャラクターではなかったし、中澤もゴーイングマイウェイ、俊輔にいたっては論外(失礼!)である。長らくこのチームの低迷はこんなところが原因となっているのかもしれない。

なお、これを書いていて、すぐに水沼宏太の存在が頭にうかんだことも追記しておく。

意識的にリーダーとしての振る舞いを身につけたスマートな努力家、そんな将来のマリノスに足りないリーダー像を感じさせるのが、水沼宏太。

川本梅花の最新著作「俺にはサッカーがある: 不屈のフットボーラー16人 」には、この水沼宏太インタビューがあるのだが、このへんの若きリーダーとしての水沼像がキッチリと浮かび上がるインタビューになっている。ちなみにこの著書には波戸も取り上げられているのだが、川本曰く、なぜ波戸を引退させてしまったのか、ということでした。今のマリノスに足りない非公式組織のリーダーシップを発揮できる男というのが、川本評価である。

それと、この降格争いの時は、勝利給も出していたらしい。結局は非公式リーダーとかモチベーションとかヒューマンマネジメントとか、そういう問題に落ちつくのか。しかし、これにはこの10年近くの低迷を解読する鍵であるような気がしてならない。

 


2.大宮における樋口靖洋

樋口さんは真面目で優しい人。それが川本の評価である。それを良くとることも出来るし、悪くとることも出来る。

「悪くいえば決断力がないんです」

前述の2007年の降格争いの翌年に監督に就任したのが樋口靖洋である。

しかし、結局は通年満足な成績はあげられず1年で解任。最終順位は12位だった。

何がいけなかったのか?川本は象徴的な話として、次のエピソードを話す。

強化部長から降格争いの時の後任監督となり、その後樋口さんを監督にすえてフロントに戻った佐久間GMは、長身のスロヴェニア人のストライカー、ラフリッチを連れてきた。

ところが・・・

「樋口さんのやりたいサッカーだとラフリッチのタイプ、つまりポストの選手は不要なんですよ。ボールを動かして、相手の選手の間に人がはいっていくような流動的なサッカーを樋口さんはやろうとしていたわけです。裏に抜けられる選手が使いたかったんですよね。ところが、ラフリッチはそういう選手ではなかったにも関わらず、佐久間GMが連れてきた選手だから使わざるを得なかった。途中でラフリッチは使わなくなったんですが、これが遅すぎた。もっと早めに割り切って、使いたい選手を使ってしまえばよかったはずだったんですよ。」

それはマリノスでいうと・・・?

「中村俊輔です。それをどこで割り切るか、樋口さんが本当に使いたい選手はたくさんマリノスにはいると思うんですよね。」

ちょうど昨日に和司前監督が、某新聞で「ベテランをあれだけ走らせるのは難しい」とコメントとしていたのと呼応した話でもある。

サッカー批評の木村さんのインタビューで、ブロックをつくってどうのこうのなどやりたくなかった・・・と言っていたのがあるじゃないですか。あれは樋口さんのやり方ですよ。DFラインとセンターハーフの間でブロックをつくって、そこでボールを奪って、ショートカウンターでボールをつないで攻めていく。くさびになる選手は必要なんだけど、ポストがいなくてもかまわないと思っているはずです。そういう意味で小野と大黒という2人のFWは本来樋口さんが使いたい選手の組み合わせだと思います。」

ゴール前に飛びこんでいく選手が増えていく美しい攻撃は、しかし実現してはいない。それどころか、6年間のJリーグで最低レベルの得点力である。

「河治くん(河治良幸:エルゴラッソ・フットボリスタ等で活躍するサッカーライター)もこの前言っていたでしょ?小野が一生懸命走りこんでも誰もついてきていない。そんなシーンばかりなのでは?」

「攻撃サッカー」を志向しながらも、樋口さんの監督としての成績は誠にさびしい限りである。

これを見透かしたかのように、和司さんがコメントする。「理想と現実は違う」と。樋口さんにはもしかすると優しさという長所と欠陥が表裏一体となっているのかも知れない。和司さんは、きっと伝統的な君主論のテキスト通りの統治を行っただろう。この二人のバランスが結果的にそれなり機能していたというのが、自分の推測である。
君主は愛されるよりも恐れられよ。和司さんのこのやり方は功罪あわせもつものだったとしても。

リーダー不在で自己改善できないチームと、優し過ぎる理論家の組み合わせは、どうにもよろしくないのかも知れない。樋口さんにもチームにも変わらなければならないことがあるのだ。

最後に、樋口さんが監督としての実績が今一つなのに、どうして次々と監督のオファーが来るのか?という質問に、川本は即座に答えた。 「人間性です」と。

だが、樋口さんがやりたいサッカーをやるためには、まずは樋口さんが変わらなければならない。それでなければチームも変わらない。理想を成し遂げるのは往々にして現実主義者であることがある。生(き)の理想主義者では理想を現実化することは出来ない。樋口さんには、残念ながら、もう時間はそんなに残されていない。これは、前回の記事にて書いたとおりである。



2012年4月23日 (月)

降格の研究とこれからの展望

「今年、自分はマリノスに何があっても驚かない。」(優雅で感傷的な「3年目」の樋口サッカー)と書いてから一カ月、事態はいっこうに変わっていない。むしろ悪化している。

樋口監督の「解任報道」もメディアの紙面に出るようになってしまった。社長は否定しているものの、数紙が一斉に報道しはじめたのを鑑みれば、火の無いところに煙たたず、すでにエマージェンシーのための動きを水面下で始めたというところで間違いないだろう。
この種の話は、悪しき内部からのリークというよりかは、相手方があることから漏れて当然の話になるかと思う。たぶん、何人かに断られているのだろう。内諾の話であれば情報はそこで留められる。

ちょっと印象的なマリノスの元監督のインタビューをメールマガジンの「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」にて、先日読むことが出来た。水沼貴史である。曰く、「サポーターが監督に何を求めているのかわからない」
なるほど、輝くべき2連覇を果たした岡田監督はわずか1年半の低迷の責任をサポーターから問われて「これが限界」と引導を渡された。木村和司監督は、結果を出さなければならないシーズンに、なりふり構わず泥にまみれるようなサッカーをしてあと一歩までたどり着きながら、最後に「内容がない」「戦術がない」と盛大なブーイングを浴びる。
本当にくだらない。

もしこのような実情を知っている人であれば、監督就任への礼をつくされても、それなりに躊躇するのは当たり前のことだ。

ちょっと余談になるが、藤井雅彦記者の意見を自分にかなりの信頼をおいている。辛口ながらもこの人の書くことは、荒れた局面であればあるほどブレないからだ。
中村俊輔選手のセルティックからの移籍がご破算になったとき、斎藤前社長の「失態」をファン・サポーターはこぞって責めた。内部からリークされてくる情報と嫌な噂も駆け巡った。
しかし自分は何度もこの手の話を見てきたため、本当に悪いのは社長なのか、社長の失言が移籍ご破算の原因なのかということを当時のハマトラ紙面に書いた。これは単に移籍条件を巡る駆け引きのひとつにすぎず、それをうまく利用して別の目的に使おうとしているのではないかと。
しかし、メディアを通じた情報を鵜呑みにしてしまう人からは、この意見は大いに批判を浴びた。唯一、藤井記者がエルゴラッソに書いていた意見が、サポーターや他のメディアの論調に対してほぼ自分と同じような懐疑を表していた。

自分はこのチームが本当に変わらなければならないのは、ファンとサポーターだと思っている。それは意見と意見の対立をうまく最善の方向に昇華させていく能力である。時として、マリノスのファン・サポーターはエキセントリックすぎることがある。また、誰かを悪者にすれば何かが解決するのではないかと単純な善悪二元論で判断しすぎる。


樋口監督指揮下のチーム低迷に対して、批判の声があがらないのは、昨年の木村監督のサッカーに対する表裏一体の関係にあるのは明らかだ。
「内容がない」サッカーから「内容のある」サッカーへの転換。しかし、自分は昨年のサッカーに内容がなく、今年のサッカーが内容がある(・・・だが結果におしくも結びつかない)というような単純なものではないと思っている。

クラブは樋口監督を全面的にサポートするとコメントを出している。これはこれで100点のコメントだと思う。だが、エーマージェンシープランもすでに策定しはじめているだろうことは明らかで、これも賢明な処置であると思う。

必要なのは現実と理想のバランスをとること。そのためには時として二枚舌でもかまわないと思う。動揺を見せてはならず、だがその裏では冷静に数歩先を読んで動いていなければならないのだ。

これを自分も少しやってみようと思う。わたしたちの横浜F・マリノスは、7節の磐田戦での「惜敗」(自分は「惜敗」などとは考えておらず、むしろ今年のこれまでの典型的な失敗の本質を見た試合と思っていますが。こちらは後述。)により、降格圏の17位に落ちた。

これをもって、先に書いたとおり、「今年、自分はマリノスに何があっても驚かない。」という事態に一歩進んでいる。こんな預言が成就するのはまさにご勘弁なわけである。ただ手をこまねいているのも癪だ。

そこで、「内容があるから今はガマン」という人が多数を占めている情況の中で、それではその熱湯の風呂にどこまではいっていなければならないか、以下にストップウォッチと温度計をピッチをおいて少し、そのガマンできる時間を計測をしてみたいと思う。





1.降格しないための必要勝利ポイントシュミレーション

シーズン開始当初、樋口監督は「成績は問わない、マリノスのサッカーのベースとなるものを構築してほしい」というような手形を切られていると自分は想像している。
実際、それがそのとおりだとしても、「降格しなければ」という注釈の条件はついているだろう。
今、このサッカーが未来のマリノスのサッカーをつくりあげるための勝敗にこだわらない忍耐の時期だとして、それではマリノスはどこまで勝たないでもいいのか。

◇データ1:過去の残留ラインから推測する必要な勝ち点

残留確定ラインの勝ち点
2005 清水 39
2006 甲府 42
2007 大宮 35
2008 千葉 38
2009 山形 39
2010 神戸 38
2011 浦和 36
平均 38.1

(以降の数値は、現在のJ1と同じく、18チーム1シーズン制(34節)になってから以降のもの。なお、2011年は震災のため変則の試合日程のため、データから除外していることがある。)

このまま勝敗にこだわらず、目指すサッカーを追及するのであれば、とりあえず最低限とっておかなければならない勝ち点は38ptぐらいか。
安全ラインを考えると40ptぐらいは欲しいところではあるが。

7節終了時点でのマリノスの勝ち点は4pt。

そうすると残りの27試合で、最低でも34ptは必要となるだろう。

◇データ2:残留ライン34ptをとるための戦績


必要な戦績 必要な勝率(1) 必要な勝率(2)
12勝15敗0分 44% 44%
11勝14敗1分 41% 42%
10勝13敗4分 37% 43%
9勝11敗7分 33% 45%
8勝9敗10分 30% 47%
7勝7敗13分 26% 50%

※(1)全体の試合の勝率(2)引き分けを除外した勝率

それでは残留ラインである38ptの勝ち点を、残りの試合でゲットするためにはどれくらいの成績で行けばいいのか。
残り試合27での残留降格分岐点の勝敗は以上のとおりとなる。

勝率が2種類あるのでわかりにくいかもしれないが、簡単にまとめると、引き分けが多くなった場合、引き分け以外の試合では勝率5割(2)ぐらいが必要なラインとなるということだ。引き分けが多くなると厳しくなるとシビアさが増す。

現実的には、勝率(1)4割~3割があればなんとか行けるというところ。
この場合必要勝利数は11勝から8勝。引きわけ以外は、やはり4割以上の勝率を残さねばならない
しかし、これは到底今の情況では望めそうにないのが実情なのではないか。
まだ1勝もしていないなか、どの数字も果てしなく遠いものに見えるのが正直なところではある。


2.降格するチームはどのあたりで決定するのか

もちろん降格が決定するのは勝敗が実際に積み重なってからのことなので、早くても秋口くらいになるわけなのだが、ここでは過去J2に降格したチームのデータを見てるみることにより、ざっくりとした展望をつかむ。

◇データ3:降格圏内のチームがそのまま最後に降格したケース

年度/節 7節(20%) 11節(30%) 17節(50%)
2005 2 3 2
2006 2 2 3
2007 1 1 1
2008 1 1 1
2009 3 3 2
2010 1 2 2
平均 56% 67% 61%

現在マリノスは7節(試合消化率20%)で降格圏内。
この7節の時点で降格圏内にいたチームの半分はそのまま降格

さらに11節(試合消化率30% ※ゴールデンウィーク明け)の時点で降格圏内にいたチームの2/3はそのまま降格している。

ようするに降格するチームはGWの前後でほとんど決まっているということです。
せいぜい降格圏内3チームのうちの1チームだけが、がんばってなんとか降格を免れているというのが実情になります。

これは「1.降格しないで、どこまで勝たないでよいか」で分析したとおり、ここまでの成績になってしまうと、よっぽどのハイペースでないと降格圏内は脱出できないという悲観的な材料を補完する統計となります。

 


3.本当に「内容」は良いのか?

自分は様々な人が「内容が良い」ということを前提にして楽観的な展望をしていることに疑問をもっています。

さらには本当にこれまでのサッカーが内容が良いのかということにも懐疑的です。

現在の樋口マリノスの問題点は得点力に凝縮されています。
ちょっとこれも過去のデータで見てみましょう。

現在横浜F.マリノスは7節で得点は4点。これだけ得点が低いと、どうにもならないわけですが、これも2005年以降のデータを拾い上げると面白くない数字が出てきます。


◇データ4:降格チームの得点と失点(7節までの平均値)

年度 得点 失点
2005 8.3 12.7
2006 8.7 16.0
2007 8.0 14.3
2008 7.3 12.3
2009 6.7 10.7
2010 6.7 9.3

現在7節の時点でのマリノスの得点は4点で、失点は8点。(得失点差4点) おわかりのとおり特に得点は致命的に少ない情況。

なお、2008年より以前では、守備が崩壊してなすすべもなく負け続けるというのが降格のパターンでしたが、近年では得点力不足で惜しい試合を逃すというのを続けて降格するというパターンに推移しているようにも数字からは見受けられます。(降格チームの失点が劇的に減っており、得失点差も少なくなっている。)あれ、これってどこかでみたような・・・。

◇データ4:7節終了時点でマリノスより得点が少なかったチーム

年度 チーム 得点 順位
2007 えふしー 3 18
2007 大宮 3 15
2009 清水 4 7
2010 新潟 3 9

(2005-2010まで)

さて、マリノスの得点がとれない現状がいかに危機かがわかってしまう嫌なデータが続きます。

ごらんのとおり、6年間(2011年は震災日程のため除外)のJチームで得点がとれないワースト4に入る結果となりました。

ただし悲観的ではない材料も多少ある。堅守速攻のサッカーをめざしていた長谷川健太体制の清水は勝てないながらも負けないサッカーで手堅く順位を押し上げていましたし、新潟は4年続いた鈴木監督の後任として黒崎監督がチームがこちらも現実的なサッカーでうまくまとめて順位を押し上げました。「内容」を標榜するチームとは違ったアプローチであるのが気にはなりますが。

得点が取れないサッカーに理由があればいいわけです。ですが、残念ながらそういうサッカーを志向しているわけではないのですよね。やはり危険な事態にあるのではないでしょうか。にもかかわらず、「内容の良い」サッカーで惜しくも結果に結びついてないという人が多数いるのが正直驚きなわけです。

データで語るというのは究極的な結果論で語るということですが、その結果論がなければ帰納的な発想は出てこないものです。もちろん一般化するのが早すぎるのであれば、単なる杞憂ということになりますが、どうにも自分にはこの事態を把握するための過去の事例の一般化のタイミングが遅いような気がしてなりません。


4.どのようにして降格から脱出したのか

7節の時点で降格圏内のチームの半分はそのまま降格するというデータを見ましたが、それではその逆のパターンを見てみましょう。

7節降格圏内にいながらも、降格しなかったチームはどのように対応したかです。

年度 チーム 7節 最終 短評 監督 ポイント
2005 浦和 16 2 ポンテ・マリッチの補強により一躍急進。浦和の黄金時代の積極補強が目立つ。天皇杯は優勝。 ブッフバルト(2) シーズン途中大幅補強。
2006 広島 17 10 昨季7位にベテラン(戸田・ウェズレイ)補強も開幕10試合未勝利。小野監督は3年目にして解任。ペトロビッチ指揮の翌年はJ2降格。 小野(3)→望月(暫定)→ペトロビッチ 監督交代
2007 大分 16 14 補強に失敗し低迷も、後半を3人の選手の補強でギリギリ乗り切る。 シャムスカ(3) 選手補強。
大宮 17 15 新任のファベークが結果を出せず、監督変わるも降格争いを通年続ける。 ファーベーク(初)→佐久間悟 監督交代。
2008 新潟 16 13 故障者続出で低迷。得点力不足に通年悩まされ、最後まで降格争い。 鈴木惇(3)
千葉 18 15 前年のアマル退任と主力放出の流れのままクゼ監督就任も開幕から連敗。ミラー監督にすぐに交代するも結果を出せず。翌年降格。 クゼ(初)→ミラー(初) 監督交代。
2010 大宮 16 12 開幕当初から故障者もあり低迷続き、10節で監督辞任。監督交代もあり低迷しながら降格を免れる。 張(2)→鈴木淳 監督交代。
新潟 18 9 4年の鈴木監督政権から交代した黒崎監督。選手の大幅な入れ替えもあり開幕10試合連続未勝利があるも、その後立て直すことに成功。 黒崎(初)

特筆すべき例外は、2005年の浦和レッズです。
CSで対戦した翌年でギド-エンゲルス体制の2年目です。ポンテやマリッチをシーズン途中で連れてきたのは相当の補強だったと思います。
選手の大幅補強や監督交代なしで、降格を免れたのは2008年と2010年の新潟のみ。このへん新潟はしぶといですね。90年代~オシム加入前のジェフ市原のしぶとさを彷彿させます。
これを例外として他は全て選手補強と監督交代でなんとか降格を脱出したということになります

まとめます。自分はJ2に落ちようと落ちまいと横浜F・マリノスをサポートするのは変わりませんし、川崎や柏がJ2に落ちることで決定的にチームとして変わってきた(ファン・サポーター・フロントも含めて)のを見てきているので、そういうことも試練としてあってもいいのではないかとも思っています。
ですが、それはあくまでも薄っぺらい理屈の中の話であり、それはそれであってはいけないこととも同時に思っています。

ゴール裏もネットの世論も、ずっと落ち着いていて、このまま辛抱することが肝心だというような意見が大勢をしめていますが、自分はその理屈は支持しながらも、これまで見てきたとおり、もうそういう段階ではないとも考えています。

大勢はGW明けに決着するでしょう。もし立て直すとしたら、6月の中断期間を転換期としてスケジューリングし、それまでになんらかの対応をとることが必要です。1か月あれば、大きな変動にも対応できるというわけではありませんが、たぶん残された最後のチャンスになるからです。

もちろんそれをフロントはキチンと想定していると思いますが、願わくば最悪の展開になったときのファン・サポーターの覚悟があらんことを。

樋口さんにはがんばってもらいたいと思っています。しかし、もうこれまでの樋口さんのやり方や空疎な「内容」というスローガンに固執する段階は終わっていることを、皆が理解していかなければ、本当に手遅れになると思います。





2012年3月25日 (日)

優雅で感傷的な「3年目」の樋口サッカー

Photo


今月号のサッカー批評の記事「木村和司はなぜブレたのか」は、マリサポ必読と推薦させてもらいたい。

ほとんど自分がこれまで書いてきた、溜息のような和司さんに対する思いは西部さんと共有できていると思う。

そもそも思っていたのだ。
和司さんは、自分のやりたいサッカーをやれなかったと悔しがっているに違いない。昨年のサッカーは、ACL圏内に入らねばならないということから、不本意ながらやってきたサッカーで、しかも実質の戦術は樋口さんがやってきたに違いないから、なおさらのことだろう。トカゲのシッポ切りのようにされた恨み真髄だろうから、さぞやフロントの悪口を言っていただろう、と。

それは実際にそのとおりらしいのは、サッカー批評を読んでもらえばわかるとおり。

さて、ここからはそこから先の話だ。

その和司さんの後を引き継いだ樋口監督が結果を出せていない。

これを評して、監督初年度だから仕方ない、というような意見をちらほら目にするようになったのだが、これは大きな間違いだ。

練習を見学しているものならわかるとおり、昨年・一昨年と戦術指揮を実際にふるっていたのは樋口さんである。
おそらくそうなんだろうと推測してきたのだが、西部記事にてさらに確証が得られたわけだ。

実質指揮をとっていたうんぬんは、これ以外の複数の証言から得られていることでもある。

それなのにコーチもろともではなく、和司さんが切られて樋口さんが残ったのは、ようするに和司さんがい なければもっと上に行けるという判断がフロントにあったということ。
その事情はブラックボックスだけれども、選手がついてきてなかったんだろうと推測する。ああ、またかという思いで一杯である。たぶん、これは和司さんだけの話ではない。監督の退任後のコメントで「足を引っ張るヤツがいる」という話を何回聞いてきただろう。

問題は、和司さんに人気がなかったこと。選手にもフロントにもファン・サポーターにも。

「功労者に対しての仕打ちが酷過ぎる」とファン・サポーターは選手の出し入れを非難したが、監督に関しては「功労者」の免罪は通用しないらしい。和司さんを追い落としたのは、こういう気まぐれなサポーターの意志でもある。
松田の永久欠番、和司さんの解任、ドゥトラの移籍、これ全てファン・サポーターがネットに書き散らかしてきたこと。今のフロントは全くもって「ファン・サ ポーター視点」だ。松田や人気のある選手を大量解雇した騒動で観客動員を減らした反省はポピュリズムとして活かされている。なんとも皮肉なことだ。

昨年の実質の指揮は樋口さんが取ってきたものとすれば、どうしても結果を出さなければならないという昨年の情況の中で、それなりの結果を出したのもこの人のおかげではある。
樋口監督については、参謀タイプの人なのだろうと思う。和司さんもそこを信頼した。そして結果はそこそこ出した。このペアでよかったのだ、と個人的には思う。

昨年の成績が樋口さんに帰せられるとしても、「戦術がない」「ちゃんとした決まりごとがない」そんなつぶやきが選手から漏れてくる。ファン・サポーターはもっとヒステリックに騒ぐ。

そしてそれを監督の責任とするのは大いに結構だ。
だが、それは樋口 さんのコントロールで行われてきたものなんですよね。自分はなぜファン・サポーターが樋口さんに期待するのか全く理解できなかった。ぶっちゃけ、そんなもんどんな結果になるかすぐにわかるもんだろ?

しかしブラックボックスの中になにがあるかはわからない。これまで他チームの監督としてのチームを率いてきた結果や、この数年の「戦術がない」「決まりごとがない」サッカーの実質指揮をとっていたことを鑑みて も、不安のほうが大きかったが、それでも和司さんがいなくなるという効果が選手のモチベーションにいい方向に働く可能性も捨てきれない。よって追認せざるを得ないのである。

繰り返し書くが、樋口サッカーは別に初年度などではない。三年目なのだ。
モチベーションコントロールが、和司さんがいなくなることにより、ブラスに出るかマイナスに出るか。極めて水モノのチームマインドの醸成に期待するしかない。

中澤も俊輔も、選手として非常に扱いづらいマイペースなタイプである。「献身」という言葉とはそぐわないスタイルで結果を残してきた。かたや、煌めく才能が開花しきれない若手たち。このチームは本当に難しい。それを樋口さんがどのようにマネジメントしていくのか、自分は途方に暮れながら見ていくしかない。

開幕直前、練習試合で結果が出せていないのに、「チームの雰囲気はいい」というようなコメントが流れてくる。なんだかな、と思う。
指揮官の交代後にはそん な解放感はあるだろう。人事異動で上司が交代した社内の雰囲気が少しピリっとくるのと似たようなものだ。しかし自分の経験ではそれは長く続かない。

代表で、加茂さんから交代した後の岡田さんでもマネージメントの求心力を得るのに四苦八苦していた形跡がある。
今でこそ、会話教室や説得術を生真面目に習って、喋りかたまで変えた人であるが、当時ファン・サポーターの大半も支持してなかった。

樋口さんにアドバンテージになっているところはここ。不思議にも論理的な考えれば期待などあまり出来るはずもない樋口さんの支持率は高い。これは強みである。もちろん、自分はマリサポの気まぐれさと無責任な論理には、がっかりさせられることも多いのだが。願わくばこれは続いてほしい。

この情況だと、「帆を広げすぎた」という認識にならざるを得ないと思うのだけれど、だからといって去年のリアクションサッカーに戻らざるを得な いのか。それでもいいとは思うのだが、和司さんという強烈な個性が忍んで行ったシチュエーションとは違う今、それが結果をそのまま残すかどうか

ドラスティックに、樋口さんが本当にやりたいサッカーを出来る選手に切り替えていく、または去年結果を残したリアクションサッカーに戻すしかない。
自分のチームマネジメントの実現する求心力を最大限発揮できるメンバーにしていくしかない。もちろんこれはトップが変わった時によくある話である。けれど、もうそれしかないと思う。

マリノスの低迷を考えるにつけ、フロントや選手と摩擦をおこす指揮官こそが必要なのではないかとずっと思っていた。和司さんならば、中澤とも俊輔もコント ロールできる。甘えた若手に現実を知らしめることもできる、とも。和司さんはこれが、いろいろな意味で裏目に出たとしても。樋口さんなら、現在、ファン・サポーターの世論を味方に、これが出来る。

樋口さんに期待するのはそこだ。もうたぶん時間はそんなにないと思う。

逆にいえば、早々にそうしてもらい、「3年目」に入った樋口サッカーの結論を出さねばならない。2001年シーズンは開幕の時点から本当にこれはマズイと考えていた。この悪い予感が、今回はかなり甦ってきている。今年、自分はマリノスに何があっても驚かない。


ドゥトラとかマルキとか俊輔とか、優雅で感傷的な横浜F・マリノスを楽しむための役者はそろっている。
しかし感動のハーモニーはいっこうに聴こえてこない。あるのは妙な楽観とファン・サポーターの論理的無責任。松田のトラウマから、そんな無茶を忠実に実現していくフロント。

功労者に対する酷い扱いとか松田が出されたことを糾弾していた人が、和司辞めろとやっていた。自己矛盾を感じないらしい。その混乱が、松田の永久欠番や和司解任やドゥトラ移籍などになって驚くべき容貌で立ち現われてくる。このチームで一番変わらなければならないのフロントでも選手でも監督でもない、ファン・サポーターだと思う。

さよう、それでも自分はマリノスを愛する。ここには留保がついている。例えJ2に落ちたとしてもマリノスについていくということだ。逆にそれくらいのことがあったほうが、何かが劇的に変わる機会となるのではないかと思っているぐらいだ。だからいろいろなものを許容できる。もし、それが嫌ならもっと何かを皆は考えねばならないのではないか。




以下、蛇足。
そういえば、今年の監督交代と似たようなパターンが過去あったのを思い出す。

2008年だったか、オジェックを解任した後に就任したゲルト・エンゲルスの浦和レッズ。
ギド時代に、たぶんエンゲルスは実質監督のようなことをやっていたはずである。ギド時代に栄華を極めたものの、オジェックで下降期に入り、監督後任としてコーチからそのまま持ち上がる。そのあと、選手の反乱のようなことが起き、身内から采配を批判されるなどして解任。自分の知っている浦和サポは皆エンゲルスに懐疑的であった。日本語が堪能でドイツ語も当然できるエンゲルスは、使い勝手はよかったと思うが、結局は指揮官してはダメだったということか。
そうならないことを祈ってやまない。




殺伐とした話題の後にマリサポにお知らせ。

マリサポの勝っても負けても呑む!のポリシーをバックアップする牙城、新横浜のたあぷる館に、元やるき茶屋の店長が帰ってまいりました!

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しかも復帰先が、あの庄やとは(笑)
もう行かねーよ!と宣言してから、4-5年ぶりに庄やに行ってきましたよ。
ほとんど酔っぱらって寝てましたけど。

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この人の送別会は庄やにて。
(撮影:あやなのためボケてます)






そんなわけで、今後は庄やがいいと思います!

2012年2月11日 (土)

EGアカデミーですが・・・

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EGアカデミーというのにゲスト講師(?)として出てきます。

◇EGアカデミーに出てきます。
http://masterlow.blog74.fc2.com/blog-entry-373.html

クラブとサポーターの関係について、今考えていることを話してくれということなので、ハマトラでやっていることとか、ここ一年ぐらいのいろいろな動きと自分の考えを開陳させて頂くつもりです。

最近サポーター絡みの話は、「フットボールサミット」とか取材されること以外は、ほとんどこのブログでしか語ってませんので、皆さまにはあまり必要ないことかも。

もし、親愛なるマリサポ諸氏がそんな話が聞きたければ、2/18(土)のNPOハマトラの総会まで(笑)

てか、このセミナー予約満員らしいのですが、懸命なるマリサポならば前売りを抑えるのは当たり前!
むしろヨコハマ・フットボール映画祭の前売りを抑えてください(笑)

宣伝めいてものばかりですみませんが、近況まで。



【おめでとう!SHEVA7周年 蔵出し画像!】

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年末のシェバには、こんな人が!

こももくるーずは今どこに?

 

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幻の2ショットがあるある探検隊なのもシェバの魅力!
まさに季節がきみだけを変える!タイムマシンにお願い!ルビーの指輪!

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「どうせブログにあげるんだろ?」と写真を撮ったら言われましたので、めっそうもありませんアゲません!と答えると、寂しそうな顔をしてたのを見逃しませんでした!
UPしておきます!

 

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ハマトラロボも今年で3年目。オフシーズンのひととき。

では今シーズンもアゲて行きましょう!!

2011年12月31日 (土)

タイトルなし

木村和司監督の解任が発表された。


誠にもって残念なことである。

ただし、その「残念さ」は非常に複雑な要素から醸成されているもので、これには説明が必要だ。

が、それについて長々と書くつもりは、今はない。

昨年、ヨコハマ・フットボール映画祭にて、審査委員長の柳下毅一郎さんが特に推薦して審査員特別賞となった作品に『くたばれ!ユナイテッド』という映画がある。

ユナイテッドといっても、マンチェスターのほうではなく、リーズユナイテッドの方。鼻っ柱の強い新人監督が、フロントや選手と対立しながら、チームを追い出されてしまう話だ。実話である。
ブライアン・クラフという名将の挫折の物語をそのまま映画にしてある。映画では触れられていないが、実際の話では、リーズを解雇された後に、2部のノッティンガム・フォレストの監督となり、そこからメキメキと監督としての結果を出し、伝説の監督にまでのし上がった。

和司さんには本当にたくさんの夢を見させてもらった。願わくば、ブライアン・クラフのように、我々の目の前に復活してくれることを願ってならない。そのときは、公私ともどもの力となった参謀ピーター・テイラーのような存在を、傍らにして現れてももらいたい。
監督就任に際して、いつか自分が監督になったらコーチとしてやってくれと約束を結んでいた石崎信弘に真っ先に声をかけるも、札幌の監督になったゆえにかなわなかったことが思い出されるのだ。


あとはすでに拙文「木村和司に挨拶せよ」で書いた。


その思いを胸にしこりのように抱きながら、こう言うしかない。
和司さん、いろいろありがとうございました。いいサポートができないでスミマセンでした。

付け加えるなら、ひとつ。


二年前の俊輔獲得、木村和司監督就任という人事は、二世代にわたるマリノスの歴史に連続性を見出させる、マーケティング的には絶妙のなものだったと思う。もちろん、最初だけは。けれど、今の連中は和司さんなんか知らねえんだよな。

多分にマーケティング的な意味合いがあったその人が、ホーム最終戦でのあのブーイングを浴びる。それでは木村和司の起用の意味がない。解任の理由はそこに象徴されるファン・サポーターの心の離反が一番大きいと思う。もちろん、選手もそこにはいるのかもしれないが。
ブーイングをしたものはこれをよく覚えておくほうがよい。


ところで、昨年のサポーターカンファレンスから、もう見違えるように変わったクラブの広報の情報統制にも関わらず、突然選手の采配批判のようなコメントが出る。
皆は、選手の批判めいた言動に、選手の離反の兆候を見出すのだろうが、まだファン・サポーターは学んでいない。リークされる情報は、必ず誰かが得をするようにリークされる。

中澤の采配批判は最終戦のあたりで出たと記憶している。天皇杯を控えているのに、これはどういうことなのかと自分はジーコ時代の代表での立ち居振る舞いを思い出し、かなり不愉快な気分になったのだが、そもそもこれがなぜ、完璧に情報統制されたメディアコントロールの中で露出するのか。

簡単な推測は成り立つ。たぶん、このときには和司監督解任は決まっていたのである。

横浜 木村監督解任発表 後任は樋口ヘッドコーチ昇格

横浜は30日、木村和司監督の解任を発表した。

後任には樋口靖洋ヘッドコーチ(50)が昇格する。

2年目の今季は、標ぼうする攻撃サッカーを封印し、結果重視で優勝争いを繰り広げた。だが最終的には5位に終わった。リーグ最終戦だった3日の鹿島戦の試合後には、試合内容に不満を募らせていたサポーターからブーイングを受け、嘉悦社長も「サポーターの声は真しに受け止めないといけない」と話していた。


ただこれをそのまま受け止めるのはどうかとも思う。たぶん、嘉悦社長が他のインタビューで答えているとおり、もうこの時点では解任が決定していたはずだ。
これを断腸の思いで、支持するしかなさそうなところだ。


一方で、このような声もある。自分は賛同する。


そういう意味で、冷静に考えれば樋口コーチの昇格は残された「ベターな」選択だったとも思う。

ただし、武藤文雄さんが多少の勘ぐりをいれられているとおりだとも感じられるが。ただし、ここはブラックボックス。

同じように、木村監督を評して、選手に信頼されていないとか、コーチと監督の距離などを組織として機能していない理由とするむきもあるのは知っているが、かつて「得点しても誰もトルシエには抱きつかない。だから選手に信頼されていない。」というトンチンカンな監督批判があったことを思い出すべきだ。

わたしたちはブラックボックスをのぞかずに監督論や采配論を振りかざしていることに自覚しなければならない。頑固オヤジ型、悪い言い方をすれば「君主は愛されるより恐れられろ」というタイプのリーダーシップというのも世の中にはあるのは、サラリーマンの経験者ならばわかることだろう。


よって、自分が残念だったのは、あくまでも前回の拙文の内容を出るものはない。


あまり指摘されていない文句をひとつだけあげるのであれば、樋口さんが横浜FCの監督経験者でそこを出されてきたという過去の経歴だけである。これは我慢せざるを得ない。

最後にひとつ。

結局、メディアを通じると全くわけがわからなくなるときがあるために、このような時こそ、フロントとファン・サポーターが向き合いながら、それぞれの考え方を表明しあう場所というのが必要だということだ。

引用しよう。


カンファレンスの定期開催について。
これもかなり多かった意見で、全体の 3 割ぐらいはこれが書いてあったかなという感じです。
いままでこういう機会がなかったので、定期的にやってくださいと。
1 つ代表的な意見を読み上げさせていただきます。

『カンファレンスの継続。今回のカンファレンスの開催は、クラブのマイルストーンになりうる出来事です。ぜひ継続していただき、クラブ発展の PDCA サイクルに組み込んでいただきたい』

というご意見をいただきました。その他、同意見多数いただいております。これもちょっとご回答いただくというよりは、今日の場の結果によって次やることができるのか、やったほうがプラスなのかマイナスなのか分かると思うので、その上で、判断していただこうと思っております。ただ、こちら(客席)の人たちはやりたいんだよね。こういうのね。意見交換やりたいと思います。

(場内拍手)

嘉悦:いいですか? それはもう、おっしゃる通りだと思います。もちろんやり方とか規模とか内容については、色々と意見交換をさせていただきながら決めていきたいと思いますが、やっぱり皆さん方のサポートなしでは、マリノスはやっていけません。ましてや先程申し上げたような、これからクラブが伸びていくための非常にハードルの高い目標、これはサポーターの皆様方の支援がなければとても達成できないと私は思っています。したが
って、やり方とか時期とか内容については、色々と具体的なディスカッションさせていただいて、決めさせていただきたいと思いますが、方向性としてはやらせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

(場内拍手)


-横浜 F・マリノス サポーターズカンファレンス議事録


ただし、これは自分が思ってもどうしようもない。「サポーターの声」が必要だ。
まずは、新体制発表の内容を見守りたいと思うけれど、いずれにせよ、やらねばならないと強く思うのである。


追記:こういうのやりますので、よろしければぜひ。

1/1【元旦】マリサポ新年おつかれさまでした!打ち上げのお誘い   


もっと余裕があれば、エルゴラ藤井×蒼井真理対談とか、新ハマトラロボお披露目とか、そんな夢企画もやりたかったんですが、国立の敗戦と和司さんの解任とか、どうでもいいチケット炎上(笑)の話などで、準備の時間がありませんでした。

まあ、呑むしかないね。そんな気分ですので、もしご一緒の気持ちの方がいらっしゃればぜひ。
   


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優勝祝賀会とともに大人の段取りとして先走り、坂田ユニしかもってなかったバカ娘に、ガスとあたったらこれはヤバイと、急きょクリスマスのプレゼントに購入した栗原ユニ。
「クリスマスのプレゼントにユニなんてしょぼい」と言われました。まあ、まさにそのとおりだわな(笑)

2011年12月18日 (日)

『木村和司に挨拶せよ』

昔話から書き起こす。

ジーコ解任デモというのがあった。
仕掛けたのは自分のまわりの一派。これではダメだという危機感と強烈な行動力を持つ連中が集まって、あっという間に大事にしてしまった。
これを巡っては様々なエピソードもあるのだが、ここでは割愛。
これをやってるときに、当然ながら鹿島サポを敵にまわした。彼らは解任デモに対抗して、支援デモを組織し、その数は自分たちの組織した人数を大幅に上回った。襲撃予告なんていうものも、東スポに出たのを思い出す。この年の鹿島アウェイの試合には自分に鹿島側の警備が二人ついたのが懐かしい。

そのうち彼らの考えがわかり出してくるにつけ、立場は違えどあっぱれな連中だと逆に感心しはじめた。彼らのアントラーズをつくった恩人に彼らなりに報いるため、例えダメだったとしても、例えすべてを敵に回すとしても、それでもジーコについていくという彼らなりの「愛」にうたれたのである。

やがて、この鹿島サポの献身的なバックアップが成就したかのように、欧州遠征の試合で日本代表は快勝。ワールドカップドイツ大会までの日程を考慮し、ここで監督を交代するのはマイナスの方が大きいと判断し、この活動は終了した。ドイツ大会はご承知のとおりの結果だったわけだが、この判断は間違ってなかったと思う。

それからしばらくして、岡田さんが代表の監督になった。
前々から一生岡田武史に足を向けては寝られないと公言していた俺は、まさにジーコの時と立場が入れ替わることになったわけである。
就任後、結果が出せない岡田監督に非難は集中した。
岡田武史が監督だった時代のマリサポならばご承知のとおり、コメントはぶっきらぼうで、時にマスコミに悪態はつく、勝つためなら手段は選ばない冷徹さで非公開練習を繰り返す。固定したメンバーは結果が出るまで徹底して使い続けるため、傍から見れば無策にも見えよう。しかし、こうと決めたときには梃子でも動かない。
寒空の中で、なすすべもなく結果を出せなかった東アジア選手権で、非難は分水嶺を越え、個人攻撃に入った。さしてサッカーなど見る眼がなさそうな連中が、まるでクラスメートのイジメや、ワイドショーのコメンテーターのような上げ足とりを行う。あのときの論調が忘れられないため、未だにそういう罵りをあげていた人のサッカーに対するコメントは信用していない。

岡田武史バッシングのレベルの低さに唖然とさせられる3つの理由

この時にあのときにジーコを守ろうとしていた鹿島の連中の偉さがよくわかった。
「岡田武史解任運動」と称する動きが湧き上がる。そのスキームは自分たちがつくったやり方のコピーであった。代表サポの若手がつくった岡田武史肖像入りビッグフラッグは、このダンマクの下では応援できないとスタジアムでもめ事がおきる。

もちろんジーコの時と若干事情か違っていたのは、自分は別にウソ偽りなく、岡田監督なら結果は必ず出すと確信していたこと。4年間マリノスで戦ってきた経験があったし。だから、岡田批判のほとんどがトンチンカンに思えたし、だいたいの展開も読めたのだ。最後の最後で大ばくちがある、それを信じようと。
だから、岡田武史は必ず結果を出すと公言した。当時、そんなことを言うのは自分くらいだったが、常日頃自分がこの人は信用できると思っていた評論家の方々数人がほとんど同意見であったのも心強かった。


しかし、サポーターも、弱かった。
南アフリカの時、みんな負けると思っていたらしく、グループリーグの三戦目に行くというのは少なかった。自分は逆に負けるとしたら、それに立ち会わなければならないのがサポーターと思っていたし、さらには絶対に結果は出すだろうと考えていたので、この試合から南アフリカに行くことに決めていた。

今、横浜のユニの胸に刺繍されている金色の星、3つのうち2つは岡田武史が刻んだものだ。しかし、その横浜から岡田サポートの声は聞かれなかった。自分はひとりでやりきろうと思った。南アフリカに出発する前日に、渋谷のマルナンで20メートルの布を買った。もうそのとき三戦目で出す一発ダンマクのメッセージは決まっていた。


もちろん、例え岡田武史が信用出来なくても、サポートし続けただろう。恩義があるから当たり前。選手や監督は、ウイイレやサカつくのパラメーターやキャラクターではない。1人の人間として目の前にいる。この感覚を俺はこのまま胸に抱えていたい。
ダンマクのメッセージは、岡田バッシングをし続けたメディア、代表サポーター・ファンに向けたものだったが、今だから書くが、心の中では情が薄いマリノスサポーターにも宛てたものでもあった。

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その年にマリノスの監督は木村和司になっていた。

今でも憶えている。
鹿島サポがジーコを擁護し続ける姿を見ながら、かつての名選手が監督になったら、俺はどのようにあるべきか考えた。その時に、真っ先に思いついたのは木村和司。和司監督になったら地獄までついていくしかなかろうと。

95年に俺たちは、木村和司にあれだけの感謝を捧げた。ミスターマリノスどころか、「ミスターサッカー」だった人。その人が帰ってくる。
聞くところによれば、これまで何度か指導者就任のオファーはあったにも関わらず、木村和司はすべて断ってきたという。「マリノス以外ではやる気がなかった」。とあるインタビューで、この人は自分の前で断言した。
監督としての手腕がどうのという問題ではないのである。


お飾りの監督だの、中村俊輔がピッチのリーダーで監督は役にたってないだの、ひとつひとつを、組織論やリーダー論から反駁するのは容易い。これが社会人でサッカーを何年も見ている人間が語るものなのか、と。

もちろんそれだけではない。就任して2年連続して優勝争いまで食い込む。今の戦力を冷静に他チームと比較すれば、これは大したものだ。アレックス・ファーガソンでさえ、就任してから何年かは優勝することはできなかった。ギドは欧州の古き良き監督のように精神的な父として君臨し浦和を勝利に導いた。リーダーが実務的なリーダーであるべからず、というのは社会人ならば当たり前に知っていることだろうとも思ったが、どうやらそういう組織経験もない人がいるらしい。

むろん、あまりこういう人にかまっていても仕方ないという諦めもあるのだ。
岡田、桑原、早野、木村浩吉、それらはすべてこの人たちによって近視眼的な批判にさらされてきた人だ。特に、後期のマリノス岡田監督時代の批判のネガティブな論調は覚えている。CSKAモスクワの本田は「日本で一番優秀な監督」と、杭州に監督就任が決まった岡田武史を評した。岡田監督時代後期、この人はいろいろな理由で孤立していたという。「家族の問題」で辞めたというのだが、それを信じるナイーブな人は幸せである。わたしたちマリノスサポーターはその孤立を救うことはできず、却ってこの名将を、ヒステリックに追い詰める側に加担した。

そしてまた、木村和司を追い詰めようとしている。


昨年の松田の騒動のときに、選手、特に功労者に対するリスペクトがないと食ってかかっていた人間が、松田以上のミスターマリノス、80年代の「ミスターサッカー」に、全くリスペクトの欠片もない悪罵を浴びせる。
選手や監督はコマではない。なんというか、歴史に対する暗愚この上ない態度。弱い。人間として弱すぎる。


マリノスが冷たい組織とあげつらった昨年。
しかし、もともとその元凶はどこにあるのか?俺はなんとなくわかったような気がして、この木村和司批判の論調が大変残念極まりない。


ホーム最終戦、試合終了後のセレモニーでの監督挨拶。
ブーイングに包まれる中、木村和司の表情と声は、これまで見たことも聞いたこともない哀しみに満ちたものだった。
俺たちは誰かを傷つけ、誰かを採点し、論評し、批判するためにピッチの中の戦いに立ち会っているのか。

だから今は、ひたすら天皇杯を奪取することを祈るばかりである。
その時に、南アフリカで出したダンマクと同じ文句を掲げようと思う。
「木村和司に挨拶しろ!」と。


2011年8月14日 (日)

3番を奪え 【永久欠番について】

 永久欠番について私見を書いてみる。

(なお、本記事は昨日の深夜に書きあげたものですが、今日の試合のことを考えて保留しておいたもの。チーム敗戦のあとにあげるのも気が引けてならないのですが、いずれかのタイミングでもこれを書き残しておきたかったため、このまま公開します)

 ネット上で、3番を永久欠番にしろという意見が散見されるようになったとき、気持ちはわかれども、さすがにそれは無茶であろうとすぐさま思った。

 おそらく、いくつかの永久欠番にしようというメールや電話などがクラブにいったと思う。

 クラブは、今、松田に対して、なみなみならぬ負い目を感じているだろう。そのぶん、本当に一生懸命いろいろなことを真摯にとりくんでいる。
 徒らにクラブを悪者にしようという圧力も、心ない人から続いているだろう。同情せざるをえない。

 その意味で、クラブは誠実に対応したとも思う。だから、あまりこれについてはクラブに対してどうのこうのというつもりはない。

 ただし、残念ながら、またもやサポーターの意見を読み違えたと思わざるをえない。賛否両論ということさえ把握してなかったのは間違いないでしょう。少しでも、様々にあるサポーターの考えを把握してほしかったと思う。そうでなければ、結局は繰り返しになるだけだ。もし、そのうえでの判断であれば、自分はとやかくいうつもりはない。

 されども思うのだ。

 俺は3番を目指す子供がたくさんいて、そこから松田の生まれ変わりみたいな奴をみたいのだ。欠番は未来に開いていない。

 ジョージ・ベストの7番から始まる物語みたいなものを何十年もかけて自分はみたいのだ。「その番号を背負って、そんなプレイでいいのかよ!!」きっと今、小野が和司さんにやられているのはそれでしょう。そんな物語が永遠に続けばいい。

 背番号が変動制のころ、新人の松田(だったと記憶)が、空き番号がなくて10番をつけていた。得意になった松田のところへ、和司さんがやってきて、

「マリノスの10番も軽くなったもんだわな」

・・・と松田に面とむかって憎まれ口を言い、それに松田が怖くて震え上がったエピソードがある。

 私見では欠番はもっと番号の意味を軽くすることだ。

 さらに、正直書かせてもらおう。
 永久欠番にしてほしいと言い募った人の1/10も、10年後にスタジアムにはいないと思う。

 自分がサポーターとして永遠であるというスタンスで、クラブチームが歴史の連続としてとらえているものであれば、今回の欠番が無茶なのをわかってるはずだ。

◇松田直樹の永久欠番に想う  
 http://malicia.org/ece/?p=198

50年後、「松田直樹の背番号3は永久欠番で、木村和司、井原正巳は永久欠番ではない」理由を、今の3世代後のクラブ職員は説明できるのだろうか。仮に、あなたがクラブ職員になったとき、その理由を明確に説明できるだろうか。

サッカー講釈師・武藤文雄さんのtweet

こう言う事は語りたくない。しかし...不運な病魔に若くして命を断たれた事で、欠番にすると言う判断。格段に選手として実績があった他の選手の存在。サポータや野次馬が死を悼むのと、クラブが強引に記憶に残そうとするのは、根本的に違う。マリノス経営陣の判断は間違っている。撤回を期待したい。less than a minute ago via TweetDeck Favorite Retweet Reply

30年後、マリノスの欠番を子供に問われた時にどう説明するのだ?松田直樹が、木村和司や井原正己や中村俊輔や中澤佑二よりも、マリノスに貢献したと、誰が説明できると言うのだ?今回の欠番決定は、松田直樹の本質的な美しさを、かえってないがしろにするものだ。それが悔しい。less than a minute ago via TweetDeck Favorite Retweet Reply

今回の欠番で、あの松田の「鮮やかな守備能力、たまに見せる攻撃の凄み」+「信じ難い戦略的判断の欠除」と言う魅力が、矮小化されて記憶されて行くが耐えられないのだ。less than a minute ago via TweetDeck Favorite Retweet Reply



 同志であるマリサポに言いたいのは、クラブは歴史とともにあり、たくさんの選手の貢献があるということ。自分の思い出だけでなく「線」で愛するチームを見てほしい。

 和司さんは10番をもちろん欠番などにはしなかった。これは重い事実です。

 クラブチームをサポートするということを連続する歴史としてとらえてほしいのだ。

 和司さんや井原はマリノスというよりも日産の選手としてのイメージがうんぬんという意見もいくつかあることは承知だが、これは残念ながら1998年以前のサッカーを全く知りませんと言っているようなものだ。

 監督となった和司さんの意味をわからない人が、もはやスタジアムの大多数となった今、それは仕方ないことかもしれないのだが、そういう人の意見は申し訳ないのですが、あまり信用するわけにはいかない。


 欠番にしておくと、Jから指導か何かが入るためダメなことと記憶している。
 だから、松田の背番号を引き継ぐにふさわしい選手で出てくるまで、このまま欠番にしておこうということができないため、便宜上そういう扱いにした一面もあるとも思う。

 そのための判断ということも考えられるが、それにしても自分はどうにも釈然とはしない。

 永久欠番に賛成する人も多数いるという意味で、クラブの判断ということであれば、いたしかたないとも思うが、それにしてももう少し意見を拾い上げてほしかった。ここは依然としてフロントは変わっていない。

 クラブ側がサポーターにみせた最大級の誠意と理解しようとは思うのではあるが。

 以上のようなことを思いながら、自分は、しばらくは欠番にしとくために、3番にふさわしい選手がでてくるまでは永久に、という意味で「永久欠番」になったと考えておくことにする。

 この男なら、永久欠番である3番を復活させよう!そんな選手が出てくるのを、何十年かけても待ち続けようと思う。子供たちよ、3番を奪え。

2011年8月 6日 (土)

天人五衰

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松田はずいぶんと幸せだったと思う。

しなりがtwitterで、「松田は最高の人生で、美しく死んだ。34で死ぬとわかっていても、ああいう風に生まれ変わりたい」というようなことを書いていたが、これに自分は全く同意である。

天賦の才能に恵まれ、わがまま放題でサッカーも私生活も掻きまわすだけかきまわして、それでも憎めない・・・どころか愛されていく。

昨年の一連の契約非更改の騒動もそうだった。

勝つということに非情さが必要となるときもあろう。
それはサッカーにしろ仕事にしろ、なんでも同じだ。顧みるに、自分がそういう瀬戸際に立たされたときに、非情なこともされてきたし、非情なことも してきた。
怒り、悲しむ気持ちは分かることであれど、そちらも理解せざるを得ない。自分はこの騒動のあいだの折々、カントナを切ったエメ・ジャケの決断が頭にあった。

これを評して、ある人は「ミスターマリノスだからミスターマリノスを切れた」と。これには頷かざるを得ない。

かつて松田が干されている時期があった。その間、練習やサテライトの試合中ずっとゲーフラやダンマクを出している連中もいた。松田となると話は違っていたのだ。こんな選手はたしかにいなかった。

感情をむき出しにした闘志あふれ、言葉を悪くいえばエキセントリックなプレーヤーだった川口が、海外での失敗を経験して、見違えるような大人になって帰ってきたのとは対照的に、松田は手のつけられないガキでありつづけた。そして、そこをかえって皆が愛した。

年末の騒動で、フロントが計算外だったのは、松田のこのような愛されかたを感じてなかったこと。

仮にあったとしても、和司さんが判断するならば・・・という盾が全く機能しなかったこと。

和司さんの15年前に、あれだけの数のサポーターが「必ず監督になって戻ってきてくれ」と忠誠を伝えてきたのに、そのうち、いったい何人が今スタジアムにいることだろう。

松田の永久欠番うんぬんという声も一部にあるようだが、自分はこれに懐疑的だ。その声をあげる人たちの何人が10年後20年後スタジアムにいるだろうか。同じ話である。

そんな和司さんを知らない世代を相手にしたというところも計算外。

井原や上野も奥も久保のようにはいかなかった。松田は全く違っていたのだ。

ここは理屈を越えている。クラブのビジネスとしての論理からはまるで異星人のようなサポーターと、松田だけは同じ言語をしゃべることができ、交流することができていたのである。

移籍した先の山雅でも、さっそく不貞腐れた挨拶でゴール裏にそっぽを向くようなことをやっていたらしい。しかし、そんなのはマリサポは年がら年中 みていたことだ。そして、そんなことをやれる選手が、むしろ大人しい優等生ばかりのマリノスの選手の中で破格に親近感があったのだ。

よくよく考えてもみれば、松田の移籍くらいの話ならばプロスポーツの世界ならば、ゴロゴロと転がっている。
しかし、彼は違った。サポーターを完全に味方にすることができたのだ。


松田の騒動の中で、ゴール裏の9割がたは松田を残留させるという。そのために松田の残留のための署名を行うという。
山瀬も坂田も河合も清水も、オレにとっては本当に忘れることのできない選手だ。その選手たちをおいて、松田だけ残留させるなどということはできない、と自分は最後まで署名することはしなかった。

未だに行方のわからない上野の「引退」に際して、何もできなかったことも理由としてあった。自分にとって、ミスターマリノスは和司さんで、小さなミスターに上野良治がいた。彼は寡黙だったし、シャイだった。

サポーター小説の名著『「ぼくのプレミアライフ・フィーバーピッチ」 』(ニック・ホーンビィ)の中で、「選手と話すのは苦手だ。自分が小さな惨めな人間にみえてくるし、そんなものが選手と対等に口をきいてはいけな いと思う」というようなくだりがあった。
その中年アーセナルサポーターの主人公と全く同じく、自分は選手と親しくしたりするのが本当に苦手だ。ファンサービスのようなものにも、ほとんどいかない。

ただ、上野だけは違った。あの男はそういう自分の気持ち以上に、もっとシャイな人間だった。だから、上野だけはしゃべれたし自分のことはちゃんと覚 えてくれた。自分は引退の噂が、もう噂とはいえないところから情報がはいってくると、その引退の年のホームゲーム最終戦で、まだトラメガをもっていた自分 は、ゴール裏の脚立の上から、挨拶に来る選手の列にむけて、上野のユニを広げて出した。上野はそれをみつけて、ゴール裏から移動するあいだ、ふりかえりふ りかえり、ずっとそのオレが出すユニを見ていた。その翌々日に、上野の契約非更改が発表された。

契約非更改、それはしかたないことだ。男ならば、そういうときもある。黙って消えていく上野に、自分は何かを強く感じていた。

そして、松田。

考えてもみれば彼ならば至極当然だが、契約非更改に怒り狂い、クラブを飛び出して、その情報がすぐにリークされて報道される。 そうして一連の騒動だ。

波紋はおさまるところがなく、そしてその傷がぱっくりと割れたまま、シーズンが始まる。

だからクラブは死に物狂いで結果を出そうとしている。

あの木村和司が 守備からつくったチームで、きっちり相手をスカウンティングした末に、食いタンであがるような地道なサッカーをし続けている。
弱小チームの監督を歴任しながらも、 事あるごとに「攻撃サッカー」を看板にあげていた樋口コーチが、もともとの苦労人の経歴をむきだしにしたように、守備的選手で固めた布陣にチューニングする。
試合のクロージングは石橋を叩いて渡るような手堅いものだ。去年、順位争いが過酷だったJリーグの終盤に、スコア1-0で勝っている危うい状態だったのに、まだ攻めろ!と狩野を懲罰交代させたのが、嘘のようである。今期は、試合終盤10分でリードしていれば、トップの選手は皆、相手エンドのコーナーでボールを抱え込むようにして時間の過ぎるのを待つ。イタリアやアルゼンチンのような姑息でもあり、リアルでもある試合運びである。

そして、これが結果を出している。

よくよく考えてもみれば、こんなにもチームが変わったのは、松田や坂田や山瀬、河合、清水といったあれだけの功労者を出したからには結果を出す以外にそのことの説明がつかないということもあろう。

そこに、この訃報。

たまたまマリノスタウンが目の前の横浜のとあるカフェで打合せをしているときに、急にくらくなって驟雨となり、そしてすぐに晴れあがった。それからしばらくして電話があり、松田が亡くなったとの報。

雨を降らした雲はすでにどこかに消えていて、夏の雲と青空が広がったなか、マリノスタウンにむかうが、スクールの子供たちが練習しているだけで、本当に誰もいない。クラブハウスのまわりも無人だ。

ひとりでスタンドに行くが、ここも誰もいない。

座りながら考えた。

また松田にやられたか。34歳でやることだけやって、辞世の言葉すらも彼らしい粗雑なヤンキー言葉で、マリサポや山雅のサポならず、日本中のサッカーファンとサポーターまで騒がせる。なんということだ、男としては最高に美しい死に方ではないか。

そして、この死は今のマリノスにとって決定的な「アシスト」になるかもしれない。松田のあのキャラクターとは似つかわしくない的確でやさしいロングフィードを思い出す。ボランチで使われていた時の絶妙なアーリークロスに驚いたことをも思い出す。

そうしてさらに思う。

3番を永久欠番にするだと?そんなバカなことがあるか。松田をめざして松田二世をオレは観たいのだ。クラブの歴史はそのように倒れていくものや去っていくものを重ねながらできあがるもの。わがまますぎる話だ。

誰もいないピッチの芝生をみていてそんなことを考えている。空は深いブルーに染まる。

なんという人間なのか、と。サッカー選手としてではない。人間としてなんという強烈な存在だったのかと。

「松田だけは特別」

と、残留署名運動にどうしても首を縦にふらない自分に、説得にかかる人間がこう言った。

即座に、何をいうか、誰かひとりだけを救うなどということはできないし、それは山瀬や坂田や河合や清水のみならず、マリノスを黙って去っていった皆をないがしろにする話だ、と自分は逆に食ってかかった。

しかし、この松田の死で、彼の物語は絢爛と完結し、ここで今、自分ははじめて「松田だけは特別」だったことを認めざるを得なくなったのである。

ワガママでヤンチャなクソガキは、いつの間にか30を越えていた。

オレは思うのだ。きっとヤツは出場停止でゼルビアの試合をむかえて、それでつまらなくなりマリノスの試合をはじめて観にきた。社長とはもちろんク チも聞かず、そのまま呑みにでも行ったのだろう。もう無理がきく年でもない。遅くまで呑んで、翌日の早朝練習はキツイに決まっている。 しかし、それもまた松田らしい。

そんなことを考えた。


物語を生み出されるその時と場所に立ち会うことができた数少ない経験である。

まるで三島の『豊饒の海』の本多のような気分だ。

ただし、いくら年をとったとしても、自分が松田の輪廻に立ち会えるかどうかはわからない。

今はただただ、燦爛とした松田の物語に圧倒されるばかりである。






追記:

 和司さんが、いつもと全く違い、コメントをほとんど出していない。

 森さんのことのすぐ後、きっと思いつめているのではないかと想像する。

 なんとかみんな理解してあげてほしい。

NPOハマトラ「松田直樹選手の訃報について(喪章着用のお願い)」

 

2011年7月29日 (金)

ACLに出た場合のサポーター予算感

以前から警告していた事態が、近づいています。

自分の脳内レベルでは、すでに先月くらいから確定になっていることなのですが、たぶん柏戦に勝った場合はほぼ確定ではないでしょうか。

そんなわけで、まずは歴史に学べ。

2004年に記録していた自分のサポーター家計簿をここに改めて公開!                                                                     

[月日] [試合] [対戦] 〔交通費〕  〔チケ〕  〔合計〕
2月10日 ACL  ケデリ  560 1,500 2,060
2月23日 A3  上海  32,000 3,000 35,000
3月6日 ゼロ  磐田  1,080 2,000 3,080
3月13日 J1  浦和  520 1,500 2,020
3月20日 J1  市原  3,200 2,000 5,200
3月25日 ナビ  広島 25,000 2,000 27,000
4月3日 J1  セレッソ  520 1,500 2,020
4月7日 ACL  城南  560 1,500 2,060
4月10日 J1  新潟  6,600 2,000 8,600
4月14日 J1  大分 42,000 2,000 44,000
4月17日 J1 ガンバ 520 1,500 2,020
4月21日 ACL  城南 37,000 2,000 39,000
4月29日 ナビ  広島 520 1,500 2,020
5月2日 J1  東京  1,140 2,500 3,640
5月5日 ACL  ビィンディン  520 1,500 2,020
5月9日 J1 ヴェルディ 520 1,500 2,020
5月12日 J1 清水 520 1,500 2,020
5月15日 J1 磐田  5,020 2,000 7,020
5月19日 ACL  ケデリ  85,000 0 85,000
5月23日 J1 名古屋  520 1,500 2,020
5月29日 ナビ  セレッソ  8,020 1,000 9,020
小計 251,340 35,500 286,840

※ホームゲームのチケット代は年チケだったので1試合1,500円で計算
※宿泊費・食事代・おやつ代・アルコール代は含まず

この年のACLは、インドネシアのケデリで勝ったものの、なんともはやな得失点差で敗退。

よって家計簿はここで終了している。

もちろん、来年はA3はないのだけれども、グループリーグを突破すれば今度は中東が待ち構えている。中東に行けば、だいたい宿泊費込みで10万円以上は覚悟せねばならない。

おおよそ、全試合行くことを考えているサポーターの皆さまは、サポーター遠征費用、宿泊等々で半年で50万円くらいを準備しておく必要があるのではないでしょうか。

ご承知のとおり、この年はA3カップ(罰ゲーム)があった年。

ACLも始まったばかりで、JリーグもACL出場チームの開催日程に、今みたいな配慮を全くしてくれなかった頃。

よって、5月に8試合とかやっている(笑)
まあ、よくこんな年に連覇なんて出来たものだと思う。みんながんばったね。

これはどこの国もおんなじだったらしく、翌年の上海申花とかはもっとたいへんだったらしく、なんと3カ月で25連戦とかやっている。

あの頃に比べたらラクになったとはいえ、まあそれでもあんまり変わらんねえ。

まあ、またアジアの頂点をめざす旅に出られたら、楽しいことには間違いない。

そして、どうやらいけることになりそうだ。

油断してもしょうもないし、目の前を大事にというのはその通りなんだけど、今のうちから無駄遣いしないようによい子のマリサポのみんなに伝えておきますよ!






やっていることはほとんど代表ギャル!
今日は荒川さんに密着取材の巻。
ブログをまめに更新する姿を激写してみました!

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そういえば、その荒川さんは、反日ムーブメントで厳戒態勢となり、スタジアムとホテル以外は中国当局によってどこも行かせてもらえなかった、あの伝説の山東アウェイ(2005年)に出陣歴が!

なんと、空港とスタとホテルと高速のPAしか行っていない旅が、荒川さんの初海外旅行だったという悲しさ。

そういえば、やんやんもA3で行く上海が初めての海外旅行で、空港で入国申請の紙を書くのに汗をかいてオロオロしていたなあ。

サポもだいぶ入れ替わった。きっと次もそうなる予感。

2011年7月18日 (月)

森孝慈さんについて

今日、首位に立った。

もちろんこんな引き分けの試合であるし、ガンバが消化試合数からすると隠れ首位といってもいい位置にあるだけ、素直には喜べないにしろ、1位は1位。

7年間、自分は優勝を待ち続けているわけだが、ざっとまわりを見渡すと、一度たりとも優勝どころから1位にいることも知らない人がまわりの大半になりつつある。

数えみると、2006年の岡田体制のシーズンはじめ以来の1位とのこと。本当に長過ぎた。

そして試合が終わり、大宮からの帰途の湘南新宿ラインの中で、森孝慈さんが亡くなったというニュースを知る。

これで考え込んでしまった。

1位にあることを知らない世代が大半になりつつあるのだから、これに言いようもしれない思いを抱く人間も少なくなっていると思う。

ちょっと書いておこう。

自分がサッカーを意識して見だした頃、日本代表の監督が森孝慈さんだった。
インテリというよりは、おしゃれなセミロングのヘアスタイルに、レイバンのようなサングラスをかけていたのを雑誌だか新聞だかで見たのを憶えている。

不良というか、異端児がやるスポーツという印象だった当時の自分のサッカーのイメージにふさわしい人だったと、今となれば思う。
(ちなみに当時の日産の監督だった加茂監督もそんな風貌だったし、サングラスもかけていた)

その当時の日産は黄金時代一歩手前の頃。
代表は大学生で固められていた頃だ。その中に和司さんがいたわけだ。
「いた」というか、君臨していた。ほどなくして、木村和司はミスターサッカーとなっていく。ミスター日産ではない、ミスターサッカーだったのだ。
サッカーを知らない近所の親父でも、木村和司の名前は知っていたし、この人の自由奔放なやんちゃな発言はスポーツ新聞や数少なかったサッカー誌をいつもかざっていた。

【参考】サッカー小僧の系譜/木村和司の真価

60年、70年代はガマさん(釜本)の時代やな、80年代はワシや。90年代はスケールダウンしてカズ、ラモスあたりかの。2000年はまだいないんよな。80年代のワシはかなりイワシテいたのぅ。

和司さんはそんなことを言っていたことがある。だが、これは全くもってそのとおりだった。
(奥寺・中田あたりが眼中にないのが凄いのだが)

当時の日本代表は、水沼・金田・原・加藤久・都並あたりがいた時代。今ふりかえるとなかなかのメンバーだった。岡田武史がディフェンダーでいたはずだが、古河の選手だったし、ほとんど憶えていない。

明治大学のときから代表の中心選手となっていた和司さんは、本当に自由奔放だったから、いろいろなエピソードがある。

和司さんが監督になると決まったおととしの年末に、ハマトラの忘年会でみんなに配った「木村和司 NO.10 FOREVER」のDVDに、確か森さんのインタビューが入っていたと思う。

その中で、和司さんと森さんの同郷(広島)でもある金田さんが、木村和司のはちゃめちゃぶりを面白おかしく語っていた。
曰く、「あいつは大学生で代表に入ってきて、まだ10代の頃にエレベーターの中で、監督の後ろにまわりこみ股間をわしづかみにしたりしていた。代表監督にそんなことするから、こいつは本当にバカだと思っていた」、と。

そのときの監督が森さん。

だが、そのときの代表はまさしく森ファミリーといえるチームだった。
木村和司が、はじめて学校ではなく監督とチームを組んだのがこの人だ。

85年のあのメキシコワールドカップ予選は数々の伝説を残したが、結局は敗退。
森さんはそのときに辞め、そして後を追うように和司さんも代表を引退した。はっきりと、和司さんは森さんがいなくなったので辞めると言っていた。

和司さんの中では、監督というのはこういう仕事だと知った最初のひとりが、森孝慈さんだったろうに違いない。

その後、浦和レッズ初代の監督になり、さらに95年には横浜マリノスのGMとなっている。
95年は波乱万丈の中、はじめてJリーグチャンピオンにマリノスがなった年だ。

自分は常々、この年の優勝監督だった早野宏さんにはアタマがあがらないと言っていたし、さらには2007年に就任したときにも、解任の声をあげる人たちとは全く違う意見をもっていた。

少なくとも優勝した監督にはそれなりのリスペクトというものがあるはずだ。
こんな優勝監督の功績を忘れたかのように、目の前の結果のみで人事を語るこらえ性のないファン・サポーターはマリノスぐらいである。
自分に言わせると、早野辞めろとやっていた当時の人達に松田がどうのこうのと語る資格はないのである。さらに目の前の成績だけでサッカーを語って、和司ヤメロというようなことを言う人にもその資格はない。

それと同じ意味で、森さんにはやはり優勝させてもらった感謝が今でもある。

その後、浦和レッズのGMに就任してそれなりに結果を残したものの結局は解任されていた。なんともはや、つらい話である。

その森さんが闘病の末に、亡くなった。
そして、その日に横浜F・マリノスが首位に立つ。

和司さんはきっと試合の後にお通夜にむかっているはずだ。

遺影の前で、和司さんが監督になってはじめての首位を報告しているだろう。

自分にはひたすら感慨深いし、和司さんはきっと必ず、その真価をシーズンが終了したときに皆にみせつけることだろうとも思う。


日本サッカー人物史 森孝慈
首位浮上も訃報の恩師に勝利ささげられず

2011年7月 3日 (日)

川崎戦前日レポ ~桜木町駅前ウイマリ配布~

何を書いても、FMBHで1位殿堂入りができません。

こんな無能な自分でも、何かヨコハマのために何かできることがあるんじゃないか・・・。

そんな気持ちを秘めながら、桜木町駅前のウイマリ配布に行ってまいりました!


05

試合告知用のフリーペーパー「ウイマリ」は、すでに配り続けて5年の歴史。

初代のウイマリの隊長だった、しもじま博士(※1)の時代から世代が変わりながら、現在もものすごい勢いで街頭でのサポーターアピールと試合告知を続けています。

02

今回集まった勇者達は41名。

老若男女、子どもも入りながら、地道にチラシを配布いたします。

03

04

乳首がセクシーなこの人が現在の隊長。

今日もガッチリ配布しまくっておりました。

この日は、川崎戦の前ということで皆気合いも入っておりました。

01

この人も見かけました。仕事してませんね!

自分はこの後に、ハマトラ経理部とビッグフラッグ隊との打合せに出席するためにこの場を離れてハマトラオフィスへ。

そのビッグフラッグ隊の新ビッグフラッグの話も進んでいるし、本日の川崎戦は、けっこういろんなこと盛りだくさんですね。

ハマトラSNSもチェックしてみてください。

ていうか・・・・明日勝てば、首位柏まで勝ち点1差ということか。

金井が入ったり、アーリアが機能し始めたり、楽しみなことも多いけど、それよりもやっぱりココは勝ちたいね。そして完膚なきまで、格の違いを思い知らせたいところですよ。


9

※1:しもじま博士

ウイマリ創設者にして、ハマトラロボの開発者しもじま博士。現在はAKB48の研究生の一員としてマリノスを応援中。

8

意味なく酔っぱらいどもの画像連発。

元「人魚ちゃんズ」総帥(三日天下)で、元HEADSのろーはーさん(年齢不詳)。

女ひとりで、都橋商店街のスナックあけみにいりびたることができる傑出した存在。レースのある日は、野毛の場外馬券場のあたりを男と一緒に練り歩いていたりする。

以上、余計なお世話の近況報告。よし、今日はもらった!!

«栗原勇蔵:「横浜にはなんでもある」

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